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未来に明るさを託す

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フューチャリスト宣言
フューチャリスト宣言
  • 発売元: 筑摩書房
  • 価格: ¥ 735
  • 発売日: 2007/05/08
  • おすすめ度 4.0

フューチャリスト宣言を読み終わりました。約2時間。

「WEB進化論」の梅田望夫と「プロフェッショナル 仕事の流儀」や「クオリア日記」の茂木健一郎の対談をまとめた本です。

アポロ11号の着陸時の熱狂に中にかいま見えた将来の人類社会のイメージは、当時は信じるに足るものに見えたが、いつの間にか、その明るさは幻と消え、私たちは宇宙開発に関してどちらかと言えば陳腐な日常の中に投げ込まれている。私たちがいまインターネットに託している明るい未来像も、必ずしもそのまま実現されるとは限らない。実際に起こることは、私たちがいま予想できることとは似ても似つかないものになるかもしれない。いや、きっと異なるものになるだろう。しかし、だからと言って、予想すること、志向すること、そして夢の実現のために疾走することを忘れてはいけない。

未来は予想するものではなく、創り出すものである。そして、未来に明るさを託すということは、すなわち、私たち人間自身を信頼するということである。

ネットがセレンディピティを促進する

茂木 脳科学、神経経済学を研究している立場からいうと、脳とインターネットの関係は大変面白いテーマです。インターネットの世界は、私の言葉でいう「偶有性」、つまり、ある事象が半ば偶然的に半ば必然的に起こるという不確実な性質に充ち満ちています。

(中略)

インターネットを好きかどうかは偶有性に対する態度と密接に結びついている。この変化を嫌う人は、偶有性に満ちたネットがいやなのだろうと思いますが、他方で予想もできないものが好きな人には、ネット以上の遊び場はない。自分がブログを書いたら、どんな人がコメントをつけるか、どんな人がトラックバックをつけるかわからない。そんな不確実さにあふれた世界なのですから。

茂木氏は「偶有性」が脳にとって重要な栄養であり、脳はつねに偶有的なできごとを探しまわっていると言っています。そしてインターネットにはこの偶有性が満ちているとも言っています。

梅田 朝起きて、まず何をするか。いちばんやりたいこと、いちばんせざるを得ないところからやりますよね。そうすると最近、メールよりブログのコメントやトラックバックのほうが気になります。そっちのほうが、何がおきているかわからないから面白い。まさに偶有性ですね。自分のブログを自分の分身のように考えると、とくに頻繁に更新している時期には、分身に異常が発生していないかを見にいくみたいな感覚があります。メールは想像のつく範囲の人からしか来ないですから。
茂木 だから、ネットはセレンディピティ(偶然の出会い)を促進するエンジンでもあると思う。もちろん、本屋でたまたま立ち読みしていて思いがけず何かに出会うということもあるけれど、インターネットはセレンディピティのダイナミクスを加速している。紙媒体はゆっくりなのに対して、ウェブははるかに高速です。

この感覚はよくわかります。ブログ(もしくは掲示板とか)に書いたことに対して、どこからどんな反応が返ってくるのだろうという期待と不安が入り混じったような感覚は確かに経験したことがあります。一時期、ボトルメール(手紙を瓶にいれて海に流すあれ。ネットでこれと同じことをやるサービスが5年くらいまえにありました。いまでもあるのかな?)が流行りましたが、あれはブログが登場する以前のネットにおいて、思いがけない出会いを期待させるものだったかもしれません。

新しいものを賞賛する精神

茂木氏は、日本では、インターネットはサブカルチャーのイメージが強いと指摘しています。同時に、欧米ではウイキペディアのように非常にパブリックな機能を果たしているとも言っています。

これに対し、梅田氏は「オープンソース」との係わりが影響していると言っています。

あるいは、オープンソースの世界にはプログラマーが約300万人います。彼らは初めは面白いという理由から惹きつけられ、ネット上での他者との共同作業のプロセスに喜びを感じます。たとえば、リナックスのコードのある部分に深い関心を持つ人がその部分のコードを一部書くと、同じ部分に関心を持っている人との共同作業が自然発生する。その相手がロシア人だったり、ポーランド人だったり。そして、成果を広くパブリックに公開していくことによってさらに新しい経験を積み、多くの人に自分が作ったものを使ってほしいと思うようになる。オープンソースでソフトウェアを開発していくことで、自分の可能性が大きく広がっていく。

また、日本の社会的精神にも日本発で新しいものが出てこない原因があると考えています。

本当に必要なバックアップ体制って、社会における精神なんですよね。欠点を含む小さな芽に対して「良き大人の態度」が取れるかということ。ここがいちばんのボトルネックです。日本は新しいことをやった人を賞賛しないですね。それが根源的にまずい。新しいことがはじまると最初は不安だし、何か既存のやり方や既得権にさわっていくという直感から、危険性をまず指摘する。それがよくない。日本はその度合いが強いです。

同時に、日本人の情報に対する接し方にも欧米(本書では主にイギリス)との違いがあるようです。情報は自ら流通したがるものである(Information wants to be free.)。 イギリスではこのような情報のあるべき姿の実現を望んでいると言っています。しかし、日本では、情報を独占し、それを持つことによって自らを権威づける。

しかし、今後のインターネットではすべての情報が共有化されるべき、っと茂木氏は考えているようです。

茂木 僕もまさに公共性と利他性こそが、インターネットの特質でなければならないと思います。僕は自分のブログに自分の講演会の音声ファイルなどを公開していますが、むろん聴いてくれる人からお金をとる気はない。いろいろな情報はシェアされるべきだと思う。そうしてインターネット上に「知」が集積していくことは、とても大事なことです。

これについて梅田氏も同様に

ネットの上で何かを中途半端に有料にして生計を立てようというのは、うまくいきません。パスワードが入って検索エンジンに引っかからなくなるから、ネットは絶対に有料にしちゃいけないんです。無料にしてそれで広告が入るかといったら、先進国ではまともな生活ができるほどは普通は入らない。

と言いきっています。

肩書きは要らない

茂木 僕はこれからの時代における個人と組織の関係は、所属というメタファーではなくてアフェリエイト(連携)というメタファーでとらえるべきだと思っています。そんなことをある時に思いついて、気が楽になったんですよ。日本人って所属が大事だと考えがちですが、いまは個人として屹立するためのインフラがネット上にちゃんとある。昔であれば、たとえば梅田さんがコンサルティング会社にいるなら、その組織をバックにものを書いていた。どこどこ会社の誰々です。と説明して初めて個人として信用してもらえる。ところがいまはURL、ブログがあればいい。ネット上のプレゼンスがその個人を支えるインフラ。それを見てもらえればどういう人かわかるから。僕はいろいろな人に「これからは、個人の信用はネットで保証すれば良い。誰が最初にそれに気づくか。それに気づいた人がこれからは輝くよ」と言っています。つまり、ある組織に所属するということで完結している人は、これからは輝かない。

最近の就職活動では、Blogの内容も重視されるみたいですね。なんとなくそんなニュースを見たのを思い出しました。確かに「どこの大学で何を専攻してました」なんて言われるよりも、その個人をはっきりと認識できるものだと思います。

雑感

本書を読んでまず感じたことは、両著者とも未来、とくにネットの未来について、とてもポジティブに考えているなぁということ。本書の中でも、インターネットに「善を集積していく」イメージをもっているとさえ語っています。反対に、現在の日本の社会(特に知識層や大学などの教育機関)に対してとても絶望しているのもわかります。ただし、これから社会に出ていくであろう若い人たちへの期待は大きいようです。

対談形式故に若干まとまりのなさを感じましたが、全体を通じてポジティブで、読んでるだけで未来は明るいと思えてくるパワーを感じます。出来れば各章ごとにまとめがあればもっとよかった気がしますが。

ガジェットなど好きなことをブログやWEBメディアなどに書いて生きています。ライター仕事は常に募集中

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